大判例

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大阪地方裁判所 昭和40年(ワ)4822号 判決

原告 前田秀雄

<ほか一名>

右両名代理人弁護士 菊井三郎

被告 日本運送株式会社

右代表取締役 大橋実次

右代理人弁護士 長谷川豊次

第一 主文

一、原告両名の各請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告両名の負担とする。

第二 原告両名の申立て

被告は原告両名に対し、各一、五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四〇年一〇月二九日(本訴状送達翌日)から支払いずみまで年五分の割合による金員(遅延損害金)を支払え。

との判決ならびに仮執行の宣言。

第三 争いのない事実

一、死亡交通事故発生

とき 昭和三九年九月二〇日午前一〇時三〇分ごろ

ところ 大阪市東淀川区柴島町三一七番地先路上

事故車 (1)被告所有の大型貨物自動車(大一か九四〇三号、以下被告車という)

(2)軽四輪自動車(六大け九二〇六号、以下便宜原告車という)

運転者 (1)被告従業員訴外末崎浩(業務執行中)

(2)亡前田芳昭(昭和一七年二月二八日生)

死亡者 右芳昭

態様 対向してきた両車両が衝突し、その衝撃により路上に放り出された芳昭がまもなく死亡した。

二、亡芳昭と原告両名の身分関係

亡芳昭は原告秀雄(父)、同はるゑ(母)間の三男であり、同人の死亡により原告両名がその権利を二分の一ずつ相続した。

三、自賠責保険金の支給 五〇〇、〇〇〇円

原告両名は芳昭の死亡により右保険金の支給を受けた。

第四 争点

(原告両名の主張)

一、被告の責任原因(自賠法三条)

二、損害

(1) 亡芳昭(逸失利益)四、六〇二、二六四円

生前大阪市東区道修町三丁目四番地薬品卸業合名会社中西清次郎商店に勤務していたが、昭和三八年一〇月分から翌三九年九月分まで一年間の給与合計は二五三、八一八円、賞与は八七、七三九円であって、計三四一、五五七円の年間収入となる。そして生活費は年間一二二、〇八八円である(総理府統計局編昭和三八年「家計調査年報」大阪市の部参照)からその差額二一九、四六九円が年間純益となる。

したがって、本件事故により死亡しなければ、第一〇回生命表により二二才の男子の平均余命は四六・七一年であるから、六〇才に至るまでなお三八年間は稼働しえたはずである。

(算式)

二一九、四六九円×二〇・九七(年五分、三八年の年ごと式ホフマン係数)

(2) 原告秀雄 合計 二、八三七、七四七円

(イ)相続分((1)の二分の一) 二、三〇一、一三二円

(ロ)固有分 計 五三六、六一五円

A亡芳昭治療処置料 一三五、三〇〇円

B葬儀関係諸費用一〇一、三一五円

C慰謝料 三〇〇、〇〇〇円

算定根拠は後記のとおり。

(3) 原告はるゑ 合計 二、六〇一、一三二円

(イ)相続分((1)の二分の一) 二、三〇一、一三二円

(ロ)固有分(慰謝料)三〇〇、〇〇〇円

算定根拠は後記のとおり。

(4) 慰謝料算定の根拠

原告秀雄は資産として自己居住の建物、土地を有するのみで農業協同組合に勤務し月収二〇、〇〇〇円程度であり、原告はるゑとの間に長男明良(三二才)、次男和宣(二二才)と亡芳昭をもち、このうち長男は一〇年前から病弱で入院療養を続けており、他の二男とともに世帯を営み二人の子供らからの月一五、〇〇〇円程度あての提供により生活を維持していたものである。そして亡芳昭は高校を卒業した程度の教育ではあるが、孝養心厚く原告らとしては将来薬種商として独立することを楽しみにし、本人もその希望に燃えて日夜努力をしていたものである。

しかるに、本件事故により卒然と芳昭が死去するに至り、原告両名には他家に嫁いだ女子はいるが将来の頼みにならず、長男は入院療養中で回復の見込みもなく、ただ次男だけを頼みとするよりほかない有様で、前途は暗たんたる気持でいる。

そして被告は果物を持参し病院に見舞ったり、葬儀に香典として三、〇〇〇円を供えたという程度であって、本件事故の損害賠償についての交渉も保険金の範囲内で解決したいというのみで、きわめて冷たい態度を続けていて原告らの示談交渉に誠意を見せない。

三、本訴請求

(1) 原告秀雄

前記損害合計額から自賠責保険金二五〇、〇〇〇円を控除した残額二、五八七、七四七円の内金一、五〇〇、〇〇〇円および前記遅延損害金。

(2) 原告はるゑ

前記損害合計額から自賠責保険金二五〇、〇〇〇円を控除した残額二、三五一、一三二円の内金一、五〇〇、〇〇〇円および前記遅延損害金。

四、被告の主張に対する反論

(1) 本件事故現場付近は、長柄橋から吹田市方面に向いて右側が淀川堤防の小高い丘となっていて、その丘と道路の接するところは小さなコンクリートの排水溝が設けられており、左側は高さ約五〇センチメートルのコンクリートべいがあり、そのへいの左外側は高さ約二・五メートルの石垣となっていて、石垣の下は緩行車道となっている。そして右現場より吹田市方面約五、六〇メートル先に右に曲るゆるいカーブがあるが、吹田市から長柄橋方面に向け事故現場に進行するには見通しはきわめて良好である。道路幅員は一一メートルで左右それぞれ中心線により五・五メートルの幅員となっていて、吹田市から長柄橋方面に向かう道路上は軽自動車が並進することは可能であるが、速度が四〇キロメートル毎時程度の場合にはカーブを通過してきたため内側進行車はほとんど中心線寄りを走行している状況であり、逆に長柄橋から吹田市方面に向かう道路上は左端にコンクリートべいがあるため、小型車でも概して一列進行の状況である。

(2) 亡芳昭は原告車を運転し長柄橋から吹田市方面に向け先行車に続いて道路左側を東北進中、先行車が急に右に寄ったとたん進路前方に道路工事の標識を発見したため、急拠ハンドルを右に切り徐行のためブレーキをかけたところ、対向方面より被告車がほとんど中心線寄りを時速約五〇キロメートルでばく進してきたため、さらにサイドブレーキをかけたが及ばず、中心線上において原告車左前部と被告車の右端付近が衝突するに至った。

(3) 前記道路工事用の標識は幅一・一メートル、高さ一・五メートルの立看板であって、吹田市方面に向かってその右末端は左端のコンクリートべいから一・八メートルの地点にあり、その場所の道路有効幅員は中心線まで三・七メートルしかなく、吹田市方面に向かう車両は中心線上またはこの近くを通過せざるをえないわけで、対向車両は見通しのよい場所のこととて当然にこれを認識してその手前で左側にハンドルを切り、かつ徐行する等して対向車に道を譲らなければならなかったものである。すなわち、被告車は八トン積みの大型貨物自動車であって、全幅二・四、全長九・一六五、全高二・六八メートル、運転者の眼の位置は地上から約二・五メートルのものであるから、前方対向車道側に道路工事の看板のあることはかなり遠方から認めうるはずであり、その付近において対向車が中心線寄りを進行していたことも前方注視をするかぎりこれを認めえたはずである。このような場合に末崎としては、道交法一七条四項三号および七〇条の規定に照らし、当然に危険を避けるため左側寄りを運転しまたは徐行すべきものである。しかるに末崎は、漫然と中心線寄りを運転して七・二メートルの地点に近接しはじめて原告車を発見し、なお三・七メートル進行して急ブレーキをかけ停車の措置をとったもので、末崎が道路左中央を進行できるにもかかわらず中心線寄りを好んで運転し、徐行もせず漫然と進行し本件衝突事故を発生させたものである。そして亡芳昭は、衝突の瞬間に車から対向車道上に放り出されたところを被告車にひかれて死亡するに至ったのであるが、この場合末崎が危険箇所を見越して徐行運転し、かつ衝突の直前にでも進路を左にとり難を避けるべき注意義務を怠らなければ、れき死ということまでには至らなかったものであるから、末崎は本件死亡事故につき過失の責任を免れない。

(4) しかも末崎は、本件事故発生日の二日前である九月一八日に被告車を運転し大阪を出発して東京に行き、東京で荷物を積み事故当日の朝大阪支店に帰り会社でしばらく休んだのち、荷物を新大阪駅まで運搬するため現場にさしかかったものであるから、大阪―東京間を運転し続け精神的肉体的疲労が重なっていたことは容易に推測できることであって、正常な運転ができないおそれがあったものというべく、道交法六六条に違反するものである。

(被告の主張)

一、被告車運転者末崎の無過失と原告車運転者亡芳昭の過失

末崎は時速四〇キロメートル以下で被告車を運転し、吹田市から長柄橋方面に向け道路中心線左側を西南進して本件現場にさしかかった。当日は日曜日で道路左側淀川右側堤防寄りを青少年のサイクリングが通っていたので、末崎はその右側を前車・後車と適当な距離を保ちつつ、被告車の右車輪外側が中心線内側約七〇センチメートルるを通行する程度で進行し、本件現場手前で中心線寄りを通過する対向車数台と離合したのであるが、最後尾の車両と離合したとき、その陰から原告車が現われたのを右斜め前方約七・二メートルに認めた。

原告車は被告車進行方向から見て道路右寄りを対向進行していたため先行車の陰にかくれていたものであるが、末崎がこれを発見するや否や約九〇度の急角度をもって中心線を越え、被告車の前に車首を南に向けて突込んできたので、末崎は一瞬急ブレーキをかけハンドルを左に切ったが及ばず、原告車の左前部と被告車の右前部とが衝突したものである。

現場は見通しのよい直線平たん道路で原告車のような小型車の通行は禁止されており、末崎は前方左右の注視を怠らず、左側のサイクリングに注意し右側対向車にも注意を払いつつ運転していたのであるが、亡芳昭において右通行禁止に違反し前方注視を怠ったため、進路前方左端に設けられていた工事中の立看板を至近距離に迫って発見し、急拠ハンドルを右に大きく切り過ぎて中心線を越えたものである。当時右立看板は原告車の進路を全部ふさいでいたのではなく、原告車が中心線を越えることなく立看板の右側を通過し被告車と離合しうる十分な余裕はあったのであるから、かりに末崎が相当早くから原告車を認めていたとしても、同人において原告車が引き続き道路左端または左側を進行し、その前方に障害物があれば停止するか対向車の進行を妨げない程度に徐行してこれを避けつつ進行するであろうと信頼するのは当然であり(信頼の原則)、原告車が急に中心線を突破し約九〇度の角度で突込んでくるというようなことは予見する必要はないし、また人間の反応時間、車両の制動能力などからして、前記のように至近距離に迫って急に中心線を突破してきた原告車を発見した末崎において、同車との衝突を回避する措置を講ずることは不可能である。

以上の次第で、本件事故につき末崎には運転上の過失なく、事故は亡芳昭の一方的過失により発生したものといわなければならない。

二、被告の無過失

被告は自動車運転手を採用する場合、可能なすべてのテストをなしたうえ前歴をも調査しているもので、末崎を採用するにあたっても右同様に選任につき過失なく、またその日常業務においての監督についても過失はない(なお末崎は同乗運転者西村と交代しながら大阪―東京間を運行していたものであり、その間十分に休養をとっており、本件事故当時精神的肉体的疲労が重なっている状態ではなかった)。

三、被告車に構造上の欠陥・機能の障害はなかった。

第五 証拠≪省略≫

第六 争点に対する判断

一、本件事故発生の状況

≪証拠省略≫を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1) 本件事故現場は府道大阪高槻京都線のアスファルト舗装された平たんな道路が直線的に西南から東北に向け貫通するところであるが、右道路は本件事故現場から北方(吹田市方面)数十メートルのところで北方に向かって右側にゆるくカーブしている程度で見通しはきわめて良好であり、速度制限は時速四〇キロメートルまでとされており、当時の交通量は日曜日の朝にしてはかなりひんぱんであったほか、右事故現場付近の道路状況は別紙現場見取図のとおりである。

(2) 本件事故直前、被告車は道路左側中心線寄りを吹田市から長柄橋方面へ、原告車は反対側車道左端寄りを対向進行中であったが、両車の衝突により原告車は数メートル押し返され、被告車はストップしながらしばらく進行して停車した。事故直後の状況は右見取図に示すとおり、両車のスリップ痕と亡芳昭の血痕がはっきり路上に残されており、被告車は前部バンパー右端付近がへこみ、原告車は車体左前部が座席付近まで大破していた。

(3) 亡芳昭は衝突の衝撃により車から放り出され、停車した被告車の右後輪付近に倒れていたが、同人を診察した松木医師は、致命傷は左大腿骨下端等の開放性粉砕骨折を伴う左下肢の広範囲に及ぶ挫滅創であり、この創の発生原因としては大きい鈍体による圧挫が考えられるとしている。

そこで、以上認定の各事実にもとづき判断すると、本件事故は、西南に向け進行中の被告車の右斜め前方至近距離から原告車が四五度以上の急角度をもって中心線を越え対向車道に突込んできたため、別紙見取図×点において原告車の左前部と被告車の右前部が衝突して発生し、さらに被告車が路上に放り出された亡芳昭の左下肢を右車輪でひいたものと認めるのが相当である。

二、被告の責任原因(無責)

(1) 被告車運転者末崎の無過失

≪証拠省略≫によると、末崎は右斜め前方約七・二メートルの地点を対向してくる原告車に気づいたが、その直後同車が急角度で中心線を突破してきたので危険を感じ急ブレーキを踏みハンドルをやや左に切ったけれども、ブレーキがかかると同時ぐらいに衝突したというのであり、別紙見取図の両車のスリップ痕の位置、形状等から判断して、右は十分信用できるといわなければならない。そして、≪証拠省略≫を総合すると、両車の速度はいずれも時速約四〇キロメートルであったと推認されるので、末崎が原告車を認め危険を察知してから衝突までの時間的間隔はまことに一瞬というべく、この時間内に衝突を避けるため有効な手段をとることを同人に期待するのは無理であるから、原告車を認めたのちの右回避措置につき末崎に過失はないといわなければならない。

原告らは、本件事故現場の長柄橋から吹田市方面へ向かう車道左端に工事中の立看板があり車両が中心線に接近して通過せざるをえない状態にあったので、反対車道を対向してくる末崎は危険の発生を防ぐためあらかじめ道路左側寄りを徐行運転すべき注意義務があるのにこれを怠った点に過失がある旨主張する。なるほど、当時工事中の立看板が原告ら主張の位置に設けられていたことは前認定のとおりであるが(別紙見取図)、その立看板の右側には中心線までなお三・七メートルの間隔があり、多くの車両がその間を通り中心線を越えることなく通行していた(≪証拠省略≫)以上、末崎において対向車が右立看板付近で中心線を越えるかも知れないことまで予想し、ことさら道路左側寄りを徐行しなければならないものではなく、右のような場合には中心線寄りを対向してくる車両との接触を防ぐため、被告車の構造、規模等を考慮しつつ車体右側に安全な間隔を保ち適正な速度で進行すれば足りるものと解されるところ(≪証拠判断省略≫)、被告車の右車輪が残したものと認められる前認定のスリップ痕の位置および被告車の構造、規模(≪証拠省略≫)によると、八トン積み、全幅約二・四、全長約九・二メートル、後車輪の外側は車体の側面とほぼ一致する)ならびに末崎が原告車発見後とった前認定のような措置をあわせ判断すると、被告車は衝突するまで中心線から約〇・七メートル左側を進行していたもので、対向車との接触を防ぐためには右の程度の間隔を保てば十分であると認められ、また当時における被告車の時速は約四〇キロメートルと推認されるのであるから、末崎に原告ら主張のような過失はないというべきである(かりに、原告らの主張するように末崎が制限速度を越えた時速約五〇キロメートルで被告車を運転していた過失があるとしても、前認定のような本件事故発生の状況、末崎のとった回避措置等をあわせ判断すると、右過失と両車の衝突および芳昭の死亡との間には因果関係がないと認められる。なぜなら、末崎が制限速度の時速四〇キロメートルで被告車を運転していたとしても、人間の反応時間、自動車の制動能力等を考慮すると、右衝突死亡事故は免れなかったものと認められるからである)。

さらに原告らは、末崎に過労運転の過失がある旨主張するが、≪証拠省略≫によると過労運転ではなかったことが認められる。

そして、他に末崎に運転上の過失があったことを疑わせる証拠がないので、結局本件事故は後記亡芳昭の運転上の重大な過失によってひき起こされたものであって、この事故発生につき末崎に過失はないといわなければならない。

(2) 原告車運転者亡芳昭の過失

≪証拠省略≫によると、亡芳昭は普通自動車運転免許を取得したばかりであったが、得意先の医師津村方の引越しを手伝うため原告車を運転し、津村正の運転する自動車に追従して本件事故現場にさしかかったこと、津村は前記立看板直前で右に大きくハンドルを切り中心線に接近したがそのとき被告車が中心線寄りを対向してきたので離合し、その直後衝突音を聞いたことが認められるので、これらの事実に前認定の全事実をあわせ判断すると、亡芳昭は津村の車に追従中前方注視が十分でなかったため、同車が立看板直前で急に右に寄ったときはじめて至近距離でこれに気づき、衝突を避けるため急ブレーキを踏みつつ大きくハンドルを右に切ったが、運転経験が浅かったこともあって深く切り過ぎ、ついに中心線を越え対向車道に突入するに至ったものと推認するのが相当であるから、亡芳昭には本件事故発生につき重大な過失があるものといわなければならない。

(3) ≪証拠省略≫に前認定の全事実を総合すると、本件事故との因果関係を否定しえない「被告の自動車運行上の過失および被告車の構造上の欠陥・機能の障害」はなかったものと認められる。

三、結論

以上の理由により、被告は本件事故による芳昭の受傷および死亡につき、原告両名に対しその損害を賠償すべき義務を負わないというべきであるから、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 谷水央)

<以下省略>

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